いろいろとーく

幸せな最期とは、自分らしく生きて、自分として死ぬことだけ

50代のわたし。

この年齢になると、体のことを考えるタイミングが増えるようです。

先日、同じ職場だった少し年上の方が亡くなられたと聞きました。

とん

ショックでした

自分とそんなに変わらないし、最後に見かけたのはいつだったかな・・・そんなに前じゃない。

人生は長いと思って生きてきたけど、実はそんなに長くないと考えるようになります。

何が起こるかわからないってことも知っていたから

守りながら、慎重になりながら生きてきて。

もしかしたらずっと慎重に生きてきたかもしれない。

わたしは何者なんだろうか。

義務教育も運動会も友達作りも受験も就職も、その他諸々

一通りのことを横一列でやってきて

自分を強くしたのか弱くしたのか。

勉強もしたし

一生懸命生きてきた

だけど気づけば

何者にもなれていない。

わたしってこんなだったっけな?

明日死んでも悔いは残らないんだろうか。

いつ死んでもいい

そう思える暮らしってどんなだろう

いつ死んでもいい

そう思える自分ってどんなだろう。

死んでいいわけじゃない

だたここまで生きてきて

たぶん終わりの方が近い

体が日々、いそいそと終わり支度をしているのはわかる。

どんなにがんばっても動ける時間には限りがあって

わたしはいつかは死ぬ。

何者にも成れていない自分が

今さら欲しいものとは

なんなんだろう

わたしが欲しもの

それは

わたしかもしれない。

何者にもなれなかったけど、わたしでいたい。

存在したこと

生きたこと

胸を張って死んでいきたい。

死ぬということは

わたしを神様に返す日がきただけ。

ただそれだけなんだから。

もっとわたしを満喫して

もっとわたしを生きて

死んでいきたい。

死よりも、悔いを残すことの方が怖い。

神様もがっかりするだろう

何のために生まれたんだいって質問されるだろう。

生まれた意味がある

わたしはわたしを幸せにする

わたしはわたしを大事にする

わたしならできる

わたしにしかできない

わたしで死ぬこと。

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