夢はありますか?心残りはありませんか?やり残したことありませんか?諦めてませんか?
この年齢になって、出来ることが減っているのが、現実です。
気持ちの問題かもしれませんが、よしやるぞ!と腰を上げる瞬間の重いこと、重いこと。
諦めちゃいます。上がらないわって。
歳は、取っていくばかり。
このままいろんなことを、諦め続けていくのかな。
不安や焦り、寂しさ。漠然とそんなものを感じるようになりました。
このままでいいのかな・・・
人に迷惑をかけたらダメ。おばあちゃんの口グセ
いろんなことを諦めるなんて、人生もったいないですよね。
わたしは50代前半。
人生半分は過ぎたのかな。
確実に、生涯の幕を下ろす方へと向かっている。そう感じています。
生涯の幕を下ろす時、みんな同じだと思うんです。
何も残すことはできない。
また、何か物体をあの世に持っていくこともできません。
手に何か握っていたって、握ったままあの世に逝くこともできません。
全ては、心の中にあるものだけ。
そんな当たり前のことを考えてみると、
心の中に何を灯せばいいのだろうって真剣に考えていました。
自分は、もっと好きに生きてもいいんじゃないか
そう思いました。
子供の頃、おばあちゃは口ぐせのように「人に迷惑をかけたらダメ」と言っていました。
学校では相手の気持ちを思う事。「自分が嫌なことは、お友達にもしない」そう教えられました。
なるほどと思いました。
それ以来わたしの中にはそれが、基本のようにあります。
自分が嫌なこと(=迷惑)は、相手にもしてはいけない
これによってまっすぐ歩いてこれたのかもしれません。
また、行動に制限がかかっていたのかもしれません。
先回りして、先回りして、相手の顔色を伺うようなところがあった。
正義感の塊になって、迷惑かける人にイライラして友達に聞いてもらったり。
どちらにせよ、わたしはわたしとして出来上がりました。
だけどいつしか、迷惑行為から受けるガッカリ感や、心へのダメージが大きくなっていきました。
なんでこんなことするんだろう、なんでそんな言い方するんだろう。
怒りの前に、ダメージをくらって、浅い傷を負う。その傷が癒えないまま次のダメージをくらう・・・
心が辟易しました。
自分が相手のことを思っても、相手は思ってはくれないし。
そっか、相手を思っていたなんて、自分のエゴかもしれない。
自分の基本の考え方に疑問を抱きざるをえなくなりました。
相手の気持ちなんてそもそもわからない。
そっか、相手が迷惑と思うかなんてわかんないんだから。
わたし、何を考えてんだろう。
「人に迷惑をかけない」
祖母は「好きに生きろ」と言ったんだ。
これだけ守っていれば、好きなことしたっていいって言ったんだ。
わたしの名前は祖母がつけました。
これからの時代は、女性もどんどん社会に出ていくはずだからと。
女性も働いて、仕事を持つ時代がくるからと。
だからわたしに、この名前を選んだと話してくれました。
祖母はしっかりと前を見ていました。
今からでも遅くはない。
残りの人生は、もっと気楽に、もっと自由に、もっと好きに。
今やらなきゃ、このまま幕を閉じてしまう。
それは避けよう。
もう少し楽に生きよう。
人前が苦手なわたし。今までの生き方は、騙し騙しなんとかやってきた!
長女で生まれたせいか、
少し問題を抱えていた家庭のせいか、
わたしは我慢することに慣れていました。
無理に我慢しているという感覚はなくて。
ただ、言えなかった。
記憶の中でのわたしは、ずっと父にも母にも兄弟にも気を遣っていました。
自分の思いや願い、言わないようにしていました。
言わないままで過ごしていたから、自分の意見を上手に人に伝えることの経験が少なかったと思います。
だからいざ、人前で話す時、うまく話せない。
しゃべらないは、いつしかしゃべれないに変わっていました。
人前で話すというスキル。そのスキルを磨く機会を無くしていたんだろうな。
人前でうまくしゃべれないという苦手意識からか、いろんな場面で「緊張しい」です。(関西弁で、緊張しやすい人ってことです。)
小学校でさえ嫌だったこと、たくさんありました。
授業中に手を上げて発表
歌のテストはみんなの前で1人ずつ歌う
リコーダーを吹く
描いた絵の解説を言う
体育の授業で実技の披露
国語の授業では枕草子の暗記したやつの発表
作文読ませる
黒板に書きに行かせる
こんなのほんの一部です。
学校は人前に出ることを強要してきますよね。
避けて通れない行事が、たくさんありました。
中学生にもなると、同級生の視線が痛くて痛くて・・・苦手意識はさらに強くなりました。
嫌だ、緊張する、声が震える、そう思いながらなんとかやってきて、学校も卒業できました。
これは、できたわけじゃなく、騙し騙しその場をなんとか乗り切ってきただけ。
イヤイヤやってきただけで、何も克服できていないんです。
発表が好きになったわけでもなく、上手にもなっていません。
なんか、意味あったのかな・・・と、今になって思います。
イヤイヤやってただけ
その場が過ぎればよかっただけ
できることが普通で、普通でいるためだけにやらされていた
出来ても、褒められることはない
終わった後は安堵するだけで、達成感や喜びは感じられない
文句を言えばキリがない!(愚痴みたいですみません)
克服できないまま、なんとかやってきた。
わたしの学校生活はそんな感じです。
苦手でもいいんだ、生き方を変えます
性格は簡単には変えられません。けれども、生き方は変えられます。
今まで、出来なくて苦しんだけど、出来なくてもいいんです。
出来る人が、出来ない人に向かっていつまでも同じことをしろと言うのは、理不尽です。
そんな人が横柄(おうへい)な態度で君臨している職場は、最悪です。
苦手なものは苦手なまま、そのまま生きます。
そのことが言えないまま我慢してきました。
相手にただ説教させる時間を与えていただけです。
わたしは、我慢するような生き方はもうしないと決めました。
我慢しなくていいんだよと、自分に言いきかせました。
これから先の限られた時間、違う自分を、違う景色を見たい。
繰り返しになりますが、何をしたって誰も彼も同じ。
何も残すことはできなし、
何か物体を握ったまま、あの世に逝くこともできません。
あるのは心の中だけのもの。
この目に見たい景色を焼き付けないと
この手で好きなもの掴んでみないと
この足で行きたい所に行っておかないと
その全てが、わたしに残るから。
もう、誰かの理不尽な要求でわたしの時間を無駄に使うようなこと、したくない。
これからは、できないことはできないと、ハッキリ言います。
説教される時間も返せと言ってやります。
「降格するよ」歓迎するので早く業務に戻ってください。
仕事にかこつけて部下いじめをするような相手に、我慢はしません。
それでもわたしは憧れに向かって生きます
緊張しいで、うまくできない。
自分が前に出なくても、引っ込んでるわけではありません。
前に出る人の支えになりたいんです。
そう、子供の頃からそうでした。
縁の下の力持ち
必殺仕事人(ちょっと違いますか?笑)
わたしの憧れはそっち。
影の人、だけどやる時はやる。
わたしはそれがいいんです。
目立つのが苦手だからって、何も出来ない人になるのは、本望ではありません。
何かの時に、大切な人たちの頼りになる存在でありたいのは、昔からの願いです。
つまらない人が近くにいると、やはり強くありたい、そう思いました。
微力ながらも誰かの役に立ち、誰かのためなら立ち向かいたい。
改めてそう思いました。
だから、このブログも始めました。
誰かの応援をしたい、笑ってくれる人を増やしたい。
わたしの希望であり、そうできる人がわたしの憧れです。
夢を語ったっていいじゃない
みんなの応援団もやりつつ、ひとつ、夢を見ようかと思います。
わたし、詩を書いてみたいんです。
夢は思う存分語る〜
誰かの心に届くような詩を書きたいんです。
作詞となれば、作曲はお任せします(笑)リズム感も音感もないと思うので・・・
後世に残る名曲を書いてみたい!
夢はでっかい方がいいんで!言っちゃいました。(すごいこと言ってます)
でもこれが実現したら、ここでの発言が叶ったって、夢は口に出した方がよかったんだってなりますよね。
叶う、叶わない、どちらにしても、そう信じて努力することが、その過程が大事なんだと思います。
ブログ書きながら、いろんな言いたいこと溜めていきます。
いつか、見てください。
詩書くぞぉぉぉ〜